会社の生存率がどの程度にしろ、長く会社を続けていく事はとても大変なことです。大きな黒字を出している会社でも数年後には莫大な負債を抱えて倒産する事はよくあります。
では永く続いていく会社と潰れてしまう会社の間にはどんな違いがみれるのでしょうか?今回はこのポイントについて話を進めていきたいと思います。
潰れる会社を見れば自分の会社を永久に続ける方法がみえる
永く続いていく会社とはどういった会社か、それは
変わる事のできる会社です
時代の流れに逆らわず流れを読み、その流れの乗ってさらに加速させていく会社が永久に発展していく強い会社になる事ができます。
それに比べて、強い信念を持っていたとしても変わる事の出来ない会社は、たとえ一時の間は繁栄できたとしてもいずれ、時代の変革に飲み込まれて会社は倒産していきます。
ニホンオオカミは絶えたが、犬は繁栄した理由
ダーウィンの進化論では種を永く繁栄させることのできた、種族は強い個体ではありません。時代の流れに逆らわず自分たちを進化させ、自然の変化に適合できた種のみが子孫を引き継いできました。
ニホンオオカミは日本本土において自然界の頂点にいた動物です。そのニホンオオカミの天敵はまさに人間でした。家畜を襲う事の多かったニホンオオカミは人間の手により駆除され、明治初頭には絶滅しました。
現在私たちの傍にいる犬は、もともとオオカミから派生した生き物です。どうやってオオカミから派生していったのでしょうか?
オオカミは人間とパートナーとなる為に進化していった
オオカミにとって、人間はいつの時代も天敵でした。その中でも比較的おとなしいオオカミは人間から餌をもらう事も出来ました。オオカミが他の猛獣を察知する能力に優れていたからです。
オオカミは人間にとっての天敵である猛獣が近づくと、大きく吠えて人間に教えました。人間はそのオオカミのおかげで猛獣から身を守る事が出来ました。そしてその代わりにオオカミには食料を分け与えました。
人間と近い距離で生活をするオオカミはやがて、狩りをするための強い力よりも、猛獣を察知する能力や人間と協力して狩りをする能力が上がっていきます。そしてより人間から愛くるしいと思われる風貌にも変わっていきました。
そしてオオカミから犬へと変わっていった個体は、人間とパートナーの関係を築いていきます。より人間に従順となり、人間との狩りに特化した犬種もでてきます。人間にとっても犬は大いに役に立つようになりました。鼻が利く犬は猛獣や獲物を探す能力にすぐれているため、より安全に過ごすことができるだけではなく、狩りの効率もよくなりました。
人間と犬はこのようにお互いがお互いを必要としてより親密な関係を気づいていきました。
オオカミは見事に進化したのです、オオカミのままではやがて人間に駆除された種類もいましたが、人間と上手く連携して、自分の欲するものを得る代わりに人間の必要としているものを与えるために進化しました。
会社経営でも同じことで、よりクライアントと親密に連携する事が必要になります。クライアントの希望を与え続けるために自分の会社を進化させた会社は、未来まで永く経営を続ける事のできる会社といえます。
またクライアントもあなたの会社に十分な提供ができなくなったら、あなたの会社は迷わず別のクライアントに変更するべきです。そうしなければ共倒れになってしまいます。この厳しい社会では、厳しさをもって進化続ける会社が資本主義の勝者となります
トヨタ自動車は変わる事で潰れない会社となった
トヨタ自動者は純利益1兆円を超える日本で一番の株式会社です。自動車の製造販売で有名なこの会社ももともと車を製造していたわけではありません。そう、日本一の株式会社も、永い歴史の中で進化を続けている会社の代表なのです。
織機の会社だった豊田は潰れない会社の基礎を作った
トヨタグループの創始者豊田喜一郎の父である豊田佐吉は明治時代、横浜で織機を発明し、織機産業で会社は大きくなりました。やがて名古屋に移って事業を続けていた豊田佐吉に人生を変える大きな事件が起きます。
1923年関東大震災が起き、関東の交通の基盤であった鉄道が崩壊しました。交通網は鉄道の崩壊とともにズタズタとなり、震災のがれきを運ぶ方法にさえ苦労し、復興もなかなか進んでいきません。
やがて、アメリカから車が輸入され、物流の救世主となります。自動車はそれまで高級な乗り物として金持ちの娯楽としての要素が強かったのですが、豊田は自動車の未来に光をみいだします。
織機事業も事業を拡大し安定してくると、豊田は名古屋で他の会社と共同で自動車製造にのりだします。最初完成した自動車はコストが高く、とてもアメリカの自動車と販売競争できるものではありませんでした。
豊田自動車工場設立で潰れない会社の基礎を築く
代は変わり豊田喜一郎は1934年満を持して豊田自動車工場を作り、自社単独での自動車開発に乗り出します。トラックの開発製造を始め、価格面でもアメリカ社と十分に競争できると確信していました。
そして、時代はまもなく戦争へと進んでいきました。戦後になり工場も瓦礫となりましたが、豊田喜一郎はここから再起をかけます。
GHQの命令で乗用車の製造は禁止されていましたが、トラックの製造は許可されます。日本の復興には欠かせないものと判断した豊田はトラックの製造に力を入れます。
1949年に乗用車製造の解禁が起こると、その後豊田自動車工場は発展を続けることになります。そして、現在まで、クラウンやレクサスなど人気の名車を作り日本一の株式会社に成長しました。
トヨタ自動車は常に変化を続ける会社
最初の変化は、織機会社から時代の流れをよんだ自動車産業へ参加したことでした。それ以降激動の明治、大正、昭和を乗り越え、平成の頃には日本一の株式会社と変貌しました。
その間もトヨタ自動車は常に進化する事をやめずに、新しい技術を取り入れ、時代のニーズに合わせた自動車の製造を続けています。
これだけ進化をし続けるトヨタ自動車はこれからも永く日本で一番の株式会社を続ける事でしょう。
元タレントのももちは常識のある子
現在は芸能会を引退している「ももち」こと嗣永桃子さんは、アイドルやタレントとしてお茶の間をにぎわす一人でした。アイドルグループBerryz工房の一員として2003年にデビューした彼女はその時、若干11歳でした。
私はいちファンでしたのでよく知っていますが、グループの中では特に常識があり知的な面を見せることが度々ありました。そんな彼女は次第に自分のキャラクターを作り出しました。
当時ハロープロジェクトからは道重さゆみがテレビへのバラエティ番組出演が多く、嗣永さんも自分に強力なキャラクターをつける事で、テレビの人気を得る事に成功しました。
本来は真面目な性格の彼女は、時代の流れに乗り自分を進化させたタレントの一人です、自分の能力を磨くことよりも、時代やニーズに敏感になり自分をかえていき成功したタレントの一人と言えます。
そんな嗣永さんは2017年に芸能人を引退しました。これも新しい進化の途中なのではないかとファンであった私も期待してしまいます。
これから潰れる事なく永く続いていく会社の作り方
これから永く続いていく会社にするために進化の方法として、心に留めなければいけない事
- 技術は日進月歩
- 情報を制する
- 顧客の利益を優先する
- 社員は家族も同然
この4項目をたゆまぬ努力で追い続け、進化続ければあなたの会社はこれから何年も続けていく事ができるでしょう。
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